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    慶州・扶余・全州は何が違う?韓国の古都を王朝の歴史から見る

    韓国の歴史都市を巡る際に、慶州、扶余、全州はよく名前が挙がる3都市です。いずれもソウルとは違った韓国の古い街並みや文化に触れられますが、その歴史的な立場は同じではありません。慶州は新羅の都、扶余は百済最後の都として栄えました。一方の全州は朝鮮王朝の首都だった都市ではなく、王朝を開いた太祖・李成桂の本貫地として、王室の源流を示す特別な場所です。この違いを知らずに3都市を同じ「韓国の古都」として見ると、それぞれの街に残っているものの意味が見えにくくなります。

    慶州に残る巨大な王陵と仏教遺跡、扶余に残る王宮跡や寺院跡、全州の韓屋と太祖の肖像を祀る慶基殿は、そもそも造られた時代も目的も違います。新羅、百済、朝鮮という王朝の違いを頭に置いて歩くと、なぜ慶州には古墳が多く、扶余には建物より遺構が目立ち、全州には朝鮮時代を思わせる街並みが残っているのかも自然に分かってきます。ソウルや釜山とはひと味違った韓国旅行を考えているなら、この3都市は韓国史を別の角度から見ることができ、より深く韓国を学ぶ旅となることでしょう。


    目次

    新羅の都・慶州

    慶州は、新羅が紀元前57年から935年まで都を置いた都市です。王朝の存続期間はおよそ1000年に及び、韓国でもこれほど長期間にわたって一つの王朝の中心だった都市は珍しいでしょう。7世紀に新羅が百済と高句麗を滅ぼし、朝鮮半島の大部分を統一すると、慶州は東アジアでも規模の大きな都市に発展しました。現在の市街地には大陵苑の王陵群、瞻星台、月城、東宮と月池、皇龍寺跡などが残り、少し離れた吐含山には仏国寺と石窟庵があります。街中に点在する丸い丘のようなものが新羅王族の古墳という景観も、慶州ならではです。

    慶州を特徴づけているのは、新羅という王朝そのものを街全体から感じ取れることです。大陵苑では王や王族の墓を見ることができ、月城は王宮が置かれた場所、東宮と月池は王宮に付属した宮殿施設でした。8世紀の仏国寺と石窟庵まで足を延ばせば、統一新羅時代に仏教文化がどれほど発達したのかも分かります。仏国寺の石造建築や石窟庵の仏像は、単なる寺院観光というより、国力を背景に発展した新羅文化そのものを見る場所と考えた方がいいでしょう。慶州は3都市の中でも遺跡の年代が最も古く、古代王国の都を歩くという性格がはっきりしています。


    百済最後の都・扶余

    扶余は百済最後の都、泗沘が置かれた場所です。百済26代の聖王が538年に熊津、現在の公州から都を移し、660年に百済が滅亡するまで123年間、王都として栄えました。慶州が長い新羅の歴史を何層にも残しているのに対し、扶余は百済後期の王都を知る場所という性格が強くなります。市街地周辺には王宮があったとされる官北里遺跡、王宮の背後を守った扶蘇山城、定林寺址、百済王陵園、都を囲んだ羅城などが残り、公州や益山の遺跡とともに百済歴史遺跡地区を構成しています。

    扶余で特に知っておきたいのが、百済が中国大陸から受けた文化を独自に発展させ、日本を含む周辺地域に伝えた王国だったことです。仏教、建築、工芸などを通した古代東アジアの交流において百済は大きな役割を担いました。定林寺址に立つ五重石塔はその時代を代表する遺構のひとつで、扶蘇山城から白馬江を望めば、百済最後の王都がなぜこの場所に築かれたのかも想像しやすくなります。現存する華やかな宮殿建築を見るというより、王宮跡、寺院跡、城郭、古墳をたどりながら失われた都の姿を思い描く街なのです。


    朝鮮王朝と全州

    全州は慶州や扶余とは歴史上の立場が異なります。朝鮮王朝の首都は漢陽、現在のソウルであり、全州が王都だった時代はありません。それでも韓国の歴史を語るうえで全州が特別なのは、1392年に朝鮮を建国した太祖・李成桂の本貫が全州だからです。朝鮮王室は全州李氏であり、王朝成立後の全州は「王室の根」を示す都市として扱われました。現在の全州韓屋村にある慶基殿は、太祖の肖像を祀るため1410年に創建された場所で、この街と朝鮮王朝の関係を最も分かりやすく伝えています。

    全州韓屋村には現在700棟を超える韓屋が集まり、慶基殿、全州郷校、梧木台などの歴史施設も歩いて回れる範囲にあります。ただし、目の前に並ぶ韓屋をすべて朝鮮王朝初期から残る建物と考えるのは正確ではありません。現在の韓屋地区の形成には20世紀以降の都市史も関係しています。それでも全州では、韓屋、韓紙、韓食、伝統酒、パンソリなど、朝鮮時代から続く文化を現在の生活文化と重ねて見ることができます。慶州が古代新羅、扶余が古代百済の王都そのものを見る都市なら、全州は朝鮮王朝の源流と韓国の伝統文化を見る都市だと考えると、3都市の違いが明確になります。


    3都市で違う見どころ

    慶州では「残っているもの」の規模が大きく、王陵、宮殿跡、寺院、石塔、仏像まで新羅の都を構成していたさまざまな遺産を見ることになります。王宮のあった月城から東宮と月池、瞻星台、大陵苑までが比較的近い位置にあり、市街地そのものが巨大な歴史地区として続いています。さらに仏国寺と石窟庵まで訪ねれば、新羅の王都と仏教文化の両方を見ることができるため、初めて韓国の地方都市を訪れる人にも、時代の特徴が伝わってきます。

    扶余では景観の見方が少し変わります。百済の建築物がそのまま多数残っているわけではないため、官北里遺跡、定林寺址、扶蘇山城、百済王陵園などを巡り、約1400年前の王都がどのように構成されていたのかを見る旅行になります。全州では遺跡だけでなく、現在も使われている韓屋や食文化などが旅行の中に自然に重なります。同じ歴史都市でも、慶州は古代王都の規模、扶余は百済最後の都と東アジア交流、全州は朝鮮王室の源流と伝統文化という違いがあり、どこを訪れるかによって韓国史の見える時代が変わるのです。

    王朝から選ぶ韓国旅行

    韓国の歴史に興味があるなら、慶州、扶余、全州を単に有名な観光地として選ぶより、どの時代を見たいのかで考えると目的がはっきりします。新羅を知りたいなら慶州、百済なら扶余、朝鮮王朝の文化や王室の源流なら全州です。年代で並べれば、百済と新羅が競った三国時代から統一新羅、さらに約700年後に成立する朝鮮王朝まで、韓国史の異なる時代に触れることになります。なかでも扶余の百済文化は日本の古代史とも関係が深く、日本からの旅行者にとっては韓国だけで完結しない歴史を見る機会にもなるでしょう。

    ソウルでは朝鮮王朝の宮殿、釜山では港町として発展した近現代の韓国を目にしますが、地方都市まで移動すると、それ以前の韓国が急に身近になります。慶州の王陵を歩いた後に扶余の定林寺址を見ると、新羅と百済という二つの王国が同じ時代に存在していたことが具体的に感じられます。さらに全州を訪ねれば、時代は朝鮮王朝まで大きく進み、建築や街並みの雰囲気も変わります。慶州、扶余、全州の違いを知ることは、韓国旅行の目的地を3つ増やすことではありません。韓国という国を、ひとつの時代だけではなく、異なる王朝が積み重なった場所として見ることにつながるのです。



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